むかし、犬のきもちを解析するマシン、というものが発売された。みんな犬のきもちが知りたくてしかたがなかったので、このマシンは売れに売れ、最終的な販売代数は数十万は下らない、といわれている。本当の話だ。
ところが最近はこのマシンの噂はとんと聞かなくなった。東京の都市部でも売っているお店を見たことがないし、通販でもみかけない。なぜなのか。なぜ、犬のきもちを解析するマシンは市場から消えたのか。論理的思考能力を駆使し、考えられる説を列挙してみようと思う。
1. 犬のきもちなんてわからなかった。すべてがウソだった。
2. 犬のきもちがわかったところでなんになる? みんな最新技術の物珍しさに群がっていただけで、本当は犬のきもちなんて興味がなかった。
3. 犬のきもちは「嬉しいワン」と「悲しいワン」の多くて二パターンなので飽きた
4. 犬にきもちなんてなかった。虚空だけが広がっていた
5. 犬はただひたすらウィトゲンシュタインの論理哲学論考について考え続けていた。
6. 犬のきもちはあまりにも本質を突いており、誰もが見たくない現実を突きつけられた
7. 犬のきもちのマシンには「犬です」のほかはとくになにも表示されなかった
8. 犬のきもちのマシンには「商店街のスピーカーから流れてる音楽がうるさい」のほかはとくになにも表示されなかった
9. 「メダカはどこへ行ったんですか?」のほかはとくになにも表示されなかった
10. それは犬のきもちではなく、ただ人間が聞きたい言葉が返ってくる機械でしかなかったんだ
11. 「ふーん」としか表示されなかった
12. お互いに知らないほうが良いことというのもあった
そういえば、子どもの頃に飼っていた二匹の兄妹の猫は、二匹とも、別々の年、雪が降る同じ寒い季節に、それぞれ車に轢かれて死んでしまった。近所では数十センチは雪が積もるから、発見したのは行方不明になってから何日も経ってからだった。「猫はきっとどこか新天地に旅に出たのであろう。それが猫的な行動であり、猫的な生き方なのだ」大人はそのように言った。ところが雪が溶けはじめてみるとあっけなく、死体になった猫が道端で発見された。凍った死体は怪我を負い、冷たくなっていた。即死だったのか、怪我を負ったあとしばらくそこに横たわっていたのかはわからない。二匹の猫は、本当にまったく同じ死にかただった。兄の猫がいなくなった次の年か、次の次の年、妹の猫のほうも同じように行方不明になり、そしてあとから死体がみつかった。
14. 犬は犬の理想郷のことをずっと考えていて、その姿は人間にはまぶしすぎた
15. 犬は「むちゃくちゃですやん」としか思っていなかった
つまり言いたいのは、あのときあの猫がどういういうきもちだったのか聞いてみたい、などということではまったくなく、「11」あたりが妥当な線ではないか、ということ。